建築家として生きる
1982年の1月12日、私の35歳の誕生日に、生地秦野で事務所を開設することにしました。
独立に際しては、まちの魅力、住まう事とその空間表現と自らの思いをどのような形で向き合わせるかが課題でした。
ちょうどその時、国が推進するモデルハウス事業の競技設計がありました。
水戸のタウンハウスモデルコンペです。
今まで実施コンペの応募経験はなく無謀だと言われながらも、若き仲間の協力もあり優勝は逃したものの入選を果たし、努力すれば思いの3割程度は社会に通ずるのではないかと思いました。
この時の独立を機に次年秦野市立図書館の設計競技に応募し、1等となり独立後はじめての公共施設の設計を手掛ける事となりました。
それからは公共建築を中心にいろいろな分野の建築、まちづくり、住宅の設計、改修を行う一方、海外のコンペにも参加、市民共同の建築保存の活動も行っています。
建築の傍らチェロの演奏を嗜み、音楽を通して建築を考え、建築を通して音楽を考えています。
相互に作用しあい、わたしにとっての人生の礎となっています。
略歴
1946年 | 神奈川県秦野市生まれ |
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1968年 | 明治大学工学部建築学科卒業後 同年 神奈川県建築部建築課勤務 |
1970年 | 斎藤寅郎建築研究室勤務 |
1972年 | 建築デザイン一級建築士事務所勤務 |
1973年 | 神谷宏治計画・設計事務所勤務 |
1982年~ | 久保寺敏郎都市・建築設計事務所設立 |
1986年~1999年 | 東海大学建築学科非常勤講師 |
資格
- 一級建築士 登録番号第81801号
- 神奈川県知事登録第4396号
所属・団体等
- 日本建築家協会 会員
- 日本建築学会 会員
- 日本建築士会連合会 会員
受賞歴
1986年 | 神奈川建築コンクール 佳作 「秦野市立図書館」 |
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1988年 | 建築士会連合会賞 優秀賞 同上 |
2001年 | 公共建築賞 優秀賞 「平塚ろう学校」 |
2002年 | 神奈川建築コンクール 奨励賞 「風祭の森・太陽の門」 |
2003年 | 神奈川建築コンクール 奨励賞 「石原邸」 |
委員・活動等
1994年 | 日本建築家協会 保存問題委員会 委員 |
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1995年 | 日本建築家協会 保存問題委員会 副委員長 |
1996年 | 日本建築家協会 保存問題委員会 委員長 |
1995年 | 日本建築家協会 関東甲信越支部 幹事 |
1996年 | 日本建築家協会 関東甲信越支部 副幹事長 |
1997年 | 日本建築家協会 関東甲信越支部 幹事長 |
1991年~2001年 | JIA神奈川 理事 |
1992年~2000年 | JIA神奈川 大学設計コンクール 審査委員 |
出版記事
1979年10月 | 自邸(我が家の遍歴)年月日/住宅建築 |
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1980年7月21日 | お仕着せの街づくりに抵抗住民による具体的計画提案/日経アーキテクチャー |
1981年5月 | 小岩の家(阿部邸)坂戸の家(坂間邸)/住宅建築 |
1986年 | 暮らしの中に図書館を/みんなの図書館 |
1987年2月9日 | 談話室 街づくり/日経アーキテクチャー |
1990年1月1日 | 日本で巨大なビルを建設するとなれば東南アジアの森の一部が消える/相模経済新聞 |
1991年4月 | まちづくり作品/1980~1990/日本建築家協会 / 建築文化 |
1993年6月15日 | 木造校舎のイメージはどこへ/日本建築家協会 / Bulletin |
1994年5月15日 | 下曽我の「お別荘」雄山荘の保存に向けて/Bulletin |
1994年6月 | 使い続けることの意味を考える(神奈川県立音楽堂)/住宅建築 |
1994年12月 | アルマがみる芸術家像と自己存在の意味(アルマ・マーラー)/住宅建築 |
1995年2月 | 確固たる物への拘りを感じさせる雄山邸/JIAニュース |
1995年1月 | まず残す事から大学のあり方を検討(明治大学記念館)/Bulletin |
1998年2月15日 | 大山詣に学ぶ街づくり/Bulletin |
1998年5月 | 直、建築を作る意味/建築ジャーナル |
1998年6月 | プロポーザルについて/JIAニュース |
1999年7月7日 | 秦野の鹿鳴館~旧梅原家洋館の保存運動・全記録~/(共著)夢工房 |
2001年1月 | 古い建物に自己を投影する/Bulletin |
2003年12月 | 地域の顕彰制度にみる建築家の活動/Bulletin |